労働問題とお金

賃金間題の労働としての重要さは決して低下したわけではありませんが、今後はそれと並び労働時間の間題がその重要性をたかめていくものと思われます。元々、お金賃上げ組合という異名をとっていた日本の労働組合いでも、労働時間短縮の間題を日程に載せており、ベースアップ一本の闘争の仕方だけでは、やっていけなくなっていました。大企業に関する限り、賃金上昇は労働力不足を背景として実現してきており、中小企業においても、初給賃金に関するかぎりお金賃上げが急速にすすんでいました。このような状況の下で必要な要員確保と従業員の定着を目標とする労働政策は時間の短縮であり、週休2日制の浸透でした。近年の企業ではすでに週休3日が経営者側から提案採用されて好評をえているようであり、サミュエルソン教授などは週休3日制を人間の輝かしい社会的発明だと言って賞揚していました。週休3日制がどの程度近い将来定着するかは定かではありませんが、週休の間題が国際的に大きく雇用条件として採りあげられてきえことは確かでした。すでに1962年にILOはその労働特間に関する勧告において、各国はできるだけ速やかに時間を目処として計画的にそれへ向かうよう要請していましたが、これは従来通りの1日8時間をそのままとすれば、当然過休2日を含むものでした。しかし重要なのは週休2日の詳細な制度技術論ではなく、労働者生活の大きな変化と、労働者の価値意識の転換と余暇思想の積極的な登場でした。一般用語としての楽しみというくらいにしか取扱われなかた余暇が漸く近年労働用語としでも重要な意義を持ち始めたのでした。これまで時間の短縮、休日・休暇、そしで週休2日制がとり上げてきましたが、時短は余暇の間題として新しい意義を与えられ始め、週休の日数により余暇の意味もまったく異なってくるからでした。それは余暇利用の態様をまったく異なったものにしてしまうと共に、自動化された職場における人間不在の生産のメカニズムに対する反発と結びつき、余暇をそのもののために要望してやまない態度、すすんで余暇を受けることが人間生活の究極の目標であり、家計と労働や仕事は余暇を享受するためにはやむを得ない生活部分だと考えられるようになります。一人生は余暇を人間らしく享受することを目的とするもので、労働はそのための止むを得ない害悪だと考えられます。余暇と労働、人間生活における2本柱をどう位置づけるかが今後に残された間題でもありますが、労働の回避と余暇の享受で人間と社会とが結びつけられるものなのか、個人と社会とを結びつけるメカニズムは余暇ではなく労働であり仕事であるために、それが人間的環境と条件で結ばれ人間疎外状況が払拭されていくなば、そこから真の働き甲斐が生み出されると思われます。人間性を無視した流れ作業の再検討や、フレックスなども、時間の点で人間性を生かし余暇を労働にどう結びつけるかについての一つの着想だといえます。労働生活の中に余暇をどうとり入れていくか、それによって労働を人間的なものにしていくかが今後の間題です。
本来の日本では経営者はもちろん労働組合も、お金賃金に比べて時間の間題には無関心でしたが、時間の間題が雇用条件のなかでは中心的な地位を占めています。そしてそれが余暇の獲得という形で正しく展開されることになれば、日本の労働者はお金賃金奴隷の境遇から抜け出すことができるといえます。

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